心の中をあけまして!

言いたくなったことをいう場所です

【雑記】自分の「推す」を深掘りする

何か書こうかと思って開いたら、半年くらい書いてなかったじゃないか。……じゃないか……じゃないか……ジャマイカ……ソーレッ☆(古典芸能)

2月中頃から急激にお仕事がハードモードになってしまい、なかなかよろしくない状態になっている。あまり具体的に言うわけにはいかないのだが、3月下旬にある某イベントの準備担当になってしまい、大奮闘中なのだ(明日締切の入稿デザインまだ上がってきてないな……告知用のテキスト書かなきゃな……朝から会議なのに変な時間にブログ書き始めちゃったな……)。とにかくやることが多くてキャパシティを超えている。我らが海にもっと星があればラクなのであるが……(「海の星=ヒトデ」が足りないということ)。

ちょっと愚痴ると、休みの日もずっと作業をしているが、まあなかなか終わらない。しかも作業量の割に大して進んでいない気がして、焦燥感が募る毎日。

今日は空腹でコンビニに行ったら、ムダに4000円くらいお弁当やらお菓子を買ってしまい、地味にヘコんだ(買ったものは美味しかったし普通にテンションが上がったけど、家に着いてから緊縮月間に何をしているんだと我に返った)。そのあと元気になるために、1時間くらい「愛包ダンスホール」を踊っていた。何やってんだかわからんけど、惚れ惚れよ!(やじるしっ!)

こういうバグった日々の中で、最近は推しアイドルの毎日配信が心の支えになっている。推しが頑張ってるのに自分が頑張らんわけにはいかんでしょう。ありがたいね。

 

●「好き」と「可愛い」があんまり言えない話

ところで、みなさんは、大切なものは「身につけたい派」ですか? それとも「しまっておきたい派」ですか?(唐突な質問)

私は「しまっておきたい派」で、大切になればなるほど持ち歩けないと思うタイプ。大切なものが壊れたり、なくしたりすることに抵抗がある。逆にいうと、持ち歩いているものはあくまで持ち歩けるレベルの大切さなのだ。

でもおそらくまわりの人は、その人が普段持ち歩いているものを「この人はこれが好きなのだろう」と認識する。というか、それしか知りようがない。身に付けた(表に出した)ほうが好きは絶対に伝わる。と分かっていながら、私にはそれができない。

ものの考え方にもそれが反映されている。「好きだよ」とか「可愛いよ」という言葉の、出るシチュエーションをとても大切にしている(つもりだ)。いいと思うものには、比較的ライトに「これ好き!」と言えるし、割とよく言う。

しかし本当に好きで大切になると言えなくなる。言葉にした瞬間、崩れていくような気がするし、相手に溶けた状態で届く、すなわち変質した情報が伝わってしまうように感じる。

いや「好き」とか「可愛い」は毎日口に出して言った方が本当はいい。ほめ言葉は何回言っても良いものだし、かつて留学していた頃、ルームメイトのイタリア人は「美しい女性を『美しい』と褒めないことはあまりに礼儀を欠いている!」と憤慨していた(そいつは軽々と言いすぎて、彼女を1年で14人くらい見たし、女にビンタされているところも2か月に1度くらい目撃した)。

閑話休題(閑話の方が面白いから話してくれとか言うなよ。確かにそうだけども)。

最推しに「好きだぞ」「可愛いぞ」と書くとき、私は割と重い気持ちで書いているし、送信したあとで自分で(あーーー今の自分キモいぞ)という自己嫌悪感と戦っている(この一連の心の動きがキモい)。 シリアスに感じられると困ってしまうだろうから、あくまでにこやかに照れっとした雰囲気を出すが、大切な気持ちなのでちゃんと真剣でもある。

本心なんて分かりようがないし、自分が見ているのは見せてくれている一面にすぎないし、それを「好き」というのは軽薄なのかもしれない。ロールプレイじゃない素の本人(おい!そんなこというなよ!)を知って、幻滅するようなこともあるかもしれない。まあそれでも、いま見せてくれてるところを「好き」「可愛い」と思っていていいんじゃないですかね。だって好きだし、可愛いし。は~マジで可愛い。本人にはタイミングが噛み合ったときにしか言わないけど。

この前、ある誤解を解くために「今のは違うから!いつも可愛いと思ってるから!!」というコメントをした時(ケンカして謝るムーブみたいだ)、死ぬほど恥ずかしかった。こちとら公開告白した気持ちだったけど、たぶんそうは思われてないはず。……こういうガチっぽいことを書くの、キモいですね。

 

●よく想われたいほどキモくなるの話

そうそう、キモいつながり(?)でこの話をしようではないか。

好きな人にはよく想われたいというのが人間の常であると思う。しかし好きな人の前ほど、変に取り繕ってしまい、むしろキモくなるというのも人間の常であろう(パラドックス)。 

飄々とした顔でキーボード(あるいはスマートフォンの画面)を叩き、「今のオレはカッコいいぜ」というような風を吹かしながら、実際はズボンを履いていないみたいなチグハグな様子になっている(何の話をしている?)。

この感情がいわゆるガチ恋なのか?と訊かれると難しい。

推しの配信でコメントをして反応がもらえるのは嬉しいのであるが、自分がリアルタイムでコメントできなかった配信をアーカイブで見ているときの方が、推しの自由度が高い気がしていて、コメントしない方がよくない?と思うことがしばしばある。

何が言いたいかというと、めちゃめちゃ好きなのではあるが隣にいたいとか付き合いたいとか、そういうことじゃない気がしている。元気で幸せで過ごしていてくれ…………という気持ちが近い。(いや、もし万が一「私と結婚して」と言われたら、しちゃうかもしれないけど)(情けないね、まったく)。

冷静に考えてみよう。推しに「結婚しました!」と言われたらたぶん(おっおお、おおうお、おおうお、おおう、、、(動揺の又三郎))みたいな心境になるだろうし、普通に元カレの話とかされても、なんとなく(あーこんなに素敵な方なのだから彼氏がいるのは当然だけど、仕事じゃなくて好きにさせたい相手がいるっていうのはどうも複雑な気持ちになっちゃうな(早口))みたいな感情になるとは思う。だが、まあ本人がそれで良いなら、割と良いともちゃんと思っている。

卒業・引退します!と言われても、それがキミにとって人生の幸せならそっちを選んでくれ!!とは思う。残ってほしいという気持ちを押しつけて困らせたいわけではないし、であればこそ「健康でいろよ!」的な──都会の学校に進学することになった近所の子を送り出すおじさんみたいな──ことしか言えなくなったりしている。──冷静に考えてみようと前置きしたけど、全然冷静じゃないな。

「寂しいよ」「いかないで」を伝える人が、困らせるから悪いと言っているわけではないし、そういうことは私は言えないから代わりに大いに言っていただけるとありがたい!とも思いつつ、そういうことを最近ぼんやり考えていた。本当に自分の最推しの卒業を迎えたら、気が気でなくなっちゃうかもしれないけれども。まあ少なくともしばらく茫然自失としていることは想像に難くない。

でもまあそういう感情なので「ガチ恋」とは呼ばない気がするのだ。……うーん、1on1トークイベントに数万円突っ込んで10数分話していたヤツが何を言ってんだよ、という気がしないでもないな。日常のなかで、ふと気がつくと考えていたりするのでだいぶ好きなのは間違いないのだが………これは依存症?(そうだとしたら不健全になりつつある)。

全投稿にコメントしたり、ツイートにすぐいいね!をしたりするのもキモいのではないかと思って、割と自制している。もともとそう思っていたので、コメントやリプライなどはあまりしないようにしていた。とはいえアイドルという職業の性質上、数字はあったほうが絶対にいい。だから最近は3割くらい抑えめにしている。

配信で自分のコメントが続きすぎる気がしたらしばらく様子をみるとか、ツイートをオンタイムで見かけても3分くらいいいね!しないとか(←逆に意識しすぎててキモい)。

自分よりたぶん年下の若い女の子を「可愛いね」とか言って追っかけてるのも本当はどうなんですかね、みたいな気持ちもかなりある。納税も勤労もしているし、他人に迷惑かけてるわけではないはずだし、追っかけられることが仕事の人を““正しく””(ここが大事)追っかけているだけなので、疚しいことはないから恐れる必要は一切ない。応援が本人の負担になってなければいい(負担になりすぎないことをずっと考えているというのも、逆に気を遣わせるので、カラッと応援している感じが最良の応援方法であることは承知している。それが実際にできるならこんなブログは書いていない)(←これがキモい)。

改めて文字にすると、いろいろなことを難しく考えながら、日々応援しているなあ……キモいなあ……。

 

●アイドルとファンがお互いに言う「好き」の話

アイドルとファンは、率直にいえばお金と時間を媒介にした関係であるから、お金・時間をたくさん使ってくれる人が偉いし、正義だ。アイドルが言ってくれる「好き」は、お金や時間をかけてくれることへのねぎらいであって、あなたのことを思っているという意味ではない。

……と断定するのはちと早い。

確かにそういう面がないことは否定はしないが、純粋に応援してくれることへの感謝と、その応援に応えたいという気持ちが、アイドルからファンへの「好き」には込められている(はずだ)(幻想か?)(幻想でもいい)。

自分のことを好いてくれるのは基本的に嬉しいし、ありがたいことだ。「たった1人のあなたに送るよ」という体で、ファンみんなに言っているので、勘違いしてはいけないのであるが、勘違いさせるのがアイドルのお仕事みたいなところもあり、ファンが勘違いするのは““正解””だ。

アイドルに「好き」と言われたら「その『好き』って仕事で言ってるんでしょ~?」などと冷めたことを言ってはいけない。もちろん仕事ではあるけど、仕事じゃなくて人間としての気持ちも乗っかっている(と思う)。だから嬉しい。

……ちょっと待てよ? ファンからアイドルへの「好き」も、たくさんいるアイドルみんなに言っているから割と軽いやつなのか……? お互いに不特定多数に「好き」と言っている状況、実は「うちはホワイトです」と言っている企業と「御社が第一志望です」と言っている就活生みたいな関係なのかもしれない! 欺瞞!!!!

私の「好き」ってなんだ……私は本当に好きなのだろうか……毎日配信見てるのはそれはもう好きだろ……見てるのはお前だけじゃないだろ…………それはそうね……………………

 

 

最近思っていることを書き殴ったら、とりとめない上に長くなってしまった。長ーーーーーーーーーいお付き合い(京都銀行)をしてくれた方、ありがとうございます。

別に意見がほしいとか、共感されたいとかではなくて、今なんとなくこう思ったというだけの話を書いた。未来の私がこうやって思っているかどうかは正直分からないから、お前昔こう書いていただろ!と突きつけられても、その時はそうだったなあとしか言えないだろうけれども、記録として残しておく。言うほどは重くないけどね!

推しよ、こんな面倒なファンですまん。ファンは推しに似るっていうし、推しも大概面倒かもしれんな……イヤ、ソンナコトハナイデス。

 

アイドルについて、こんなことを思っている人間もいる。一ファンは勝手に応援しているから、アイドルも勝手に活動しててくれたまえ!という気持ちだ。書いたことは割と本心で、あれこれ煩悶しながら応援をしている。私の人生の時間軸において、今偶然すれ違ってるだけかもしれない。来年どうなっているかもまだわからない。今のところずっと好きでいるつもりだし、このすれ違う時間が今の私の活力になっている。成長していく姿を楽しみにしている。ちゃんと好きだぜ。